1995年に亡くなった歌手のテレサ・テンさん(享年42歳)のヒット曲を手がけた作曲家の三木たかし氏(62)が、テレビ朝日系ドラマ「テレサ・テン物語 私の家は山の向こう」(6月2日・後9時)で約30年ぶりに劇中音楽を書き下ろした。このほどスポーツ報知のインタビューに答え、「作曲する意欲やアイデアを引き出してくれる特別な歌手だった」とテレサさんとの思い出を語った。また、40周年を迎えた自身の作曲家生活も振り返った。
「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」―。作詞家・荒木とよひさ氏(63)とのコンビでミリオンヒットを連発した三木氏は、今もテレサさんが愛される理由を「日本女性が失ってしまったけなげさ、奥ゆかしさを思い出させてくれるから」と説明。一方で、「人間、女性としては不幸な人生だったのでは。歌うことで自分の悲しみを慰めていた。品性とおびえが混じった、深い目をしていた」と回想した。
ドラマはテレサさんの波乱の生涯を描いた作品で、女優の木村佳乃(31)がテレサさんを演じた。歌唱シーン(歌声はテレサさん)の華やかな姿と、香港の青年実業家との婚約破談や政治にほんろうされ苦悩する表情は「ドキッとするほど雰囲気が似ている」という。
テレサさんは気管支ぜんそくの発作で、孤独な死を迎えた。亡くなった翌日、三木氏は完成したばかりの彼女の新曲「忘れないで」の打ち合わせ中に訃報(ふほう)を知った。「この曲は日本でレコーディング予定だった。医療の発達する日本で病院に行っていたら、ぜんそくでは死ななかったはず。曲の完成が半年くらい遅れたため、かなわなかった。ぼくは毎晩飲んだくれ、テレサにわびた」と後悔を口にした。
「テレサにとって歌は体の一部。金銭や物への執着心がないから、スターになってもテレサは全く変わらなかった。歌ひと筋に熱く生きた女性の姿を見てほしい」と三木氏。鎮魂の意味を込め劇中音楽を30曲書き下ろした。テレビへの楽曲提供は実に30年ぶりという。
今年で作曲家生活40周年。「いい音楽にジャンルはない」をポリシーに、テレサ作品では演歌でもポップスでもない「歌謡ポップス」を確立。童謡からミュージカルまで幅広く手がけ、坂本冬美「夜桜お七」では前代未聞の16ビートを加えたりと、“三木メロディー”は斬新で自由だ。
「常に新しいメロディーを探している。それが売れようが売れまいが一切関係ない。歌を書くのは自分のため。だからぼくはプロじゃないし、プロになりたくもない」と力を込めた。
三木氏にとって歌とは「神のように神聖なもの」という。だからこそ自分に妥協を許さない。「40年やっても自分の世界が表現できなくて、恥ずかしさを覚える。探しているものさえ見つからない。満足できないから、これからも書き続けますよ」創作意欲は一向に衰えない。
◆声帯にがん 三木氏は声帯にがんが見つかり、手術したことを告白した。「今は右の声帯の神経が戻らず、左の声帯だけになったが、回復すればライブもできる」と意欲満々。“三木・荒木コンビ”の最新曲「さくらの花よ 泣きなさい」を完成させ、手術の10日前に歌入れも済ませており「自主制作盤として発売したい」と語った。同曲は、三木氏の“秘蔵っ子”でテレビ愛媛のアナウンサーをしながら歌手活動する大下香奈(29)の2枚目シングルとして発売中。
◆三木 たかし(みき・たかし)本名・渡辺匡。1945年1月12日、東京都生まれ。62歳。中学卒業後、歌手活動を経て作曲家に転身し、67年「恋はハートで」(泉アキ)で作家デビュー。石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、森山良子「禁じられた恋」、わらべ「もしも明日が」や、劇団四季ミュージカルの舞台音楽など幅広く活動。2005年秋、荒木氏とともに紫綬褒章を受章。実妹は歌手の黛ジュン。
◆テレサ・テン 1953年1月29日、台湾生まれ。67年に台湾でデビューし74年「今夜かしら明日かしら」で日本デビュー。同年「空港」で日本レコード大賞新人賞。79年、偽造パスポート事件で日本での活動を停止したが、84年「つぐない」で再開。同曲から「時の流れに身をまかせ」まで、日本有線大賞と全日本有線放送大賞のグランプリを3年連続受賞。95年5月8日、タイで死去(享年42歳)。
(2007年5月7日06時01分 スポーツ報知)